みなさんは友達の作り方が分かりますか?私は分かりませんでした。
私は田舎生まれ、田舎育ちで、近所の保育園に1歳から入り、そのメンバーとともに小学校6年間を過ごしました。友達といってもずっと一緒にいる人たちと友達だったので、友達ってこういうものなのかな〜と何となく思っていました。
友達の作り方が分からないことに気づいたのは中学校に入学してからです。その中学校は数校の小学校から集まってきている学校でした。クラスには同じ小学校の子は少数で、大きい小学校出身の子達が大きい派閥みたいになっているように見えました。それまで自分から友達を作った経験がなかったので、どうすれば良いか分からず戸惑ったことをよく覚えています。おそらく挙動不審な子に見えていたでしょう。部活動に入り、スポーツを始めるとそのつながりで友達ができていきました。部活動の友達以外では、いじられキャラ的になって、何となく一緒にいた友達もいました。クラスが変わるごとにビクビクして、まずは部活動が同じ子と一緒にいたような気がします。
高校の時は、女子の派閥というかグループがはっきりしていて、一度入ったら別のグループにはなかなかいけないような雰囲気があったのを覚えています。私がいたのは5人グループで、2人と3人に別れることがあり、そこから女性の奇数の集団は苦手になりました。そのグループには気の合う子がいたわけではなく何となく所属してたので、途中からそのグループがしんどくなってきて、学校行くのが面倒だな…と学校自体が嫌になりました。そのことを母に漏らしたら、「嫌いな人間のために人生を棒に振るな、高校卒業するまでの辛抱、私は介護が何年続くか分からないことに耐えているのに甘えるな」的なことを言われて、私は「確かにそうだな」と腑に落ちたことを覚えています。そのうち、受験勉強が忙しくなってくると目標に合わせた学習グループになり、本当に友達関係で悩まなくて良い環境になりました。母の言うことは間違ってなかったなと思いました。受験を乗り越えて、絶対大学生になって楽しんでやると思いながら、乗り越えました。
大学生の頃は、すっかり歪んだ気持ちを持っていて、いわゆる良い子は絶対腹黒いと思っていました。なので、良い子を見ると試すような意地悪なことをしていました。でも、ある時、良い子Aちゃんが私が困っているときに助けてくれました。私は意地悪なことしていたのに。その時、ものすごく反省しました。こんなことしていてはいけないと本気で思いました。そこからは意地悪なことをしないようにして、それまでのことを謝りました。Aちゃんは、「自分のこと嫌いなんだろうなと思ってた」と言っていました。そういう相手に優しくできるAちゃんはすごいと思いました。私のことを変えてくれたAちゃんには今でも感謝しています。
仕事をするようになってからは、気の合う人と出会った時は、大事にしようと思って友達になってきました。友達でいたい人は自分の方から大事にしたいと思っています。これまでの人生を振り返るとなかなか下手くそな友達の作り方だったな〜と思います。

空き地にメマツヨイグサを見つけました。花言葉:「はかない美」「せつない思い」「デリケート」などです。夕暮れ時に花を開き、朝には閉じようとする儚い姿からこのような花言葉が付けられたそうです。
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