ドラマ「ひとりでしにたい」の第4話を観ました。
今回も考えさせられる内容で、特に印象に残ったのは「ひとりで生きて、ひとりで死ぬとしても、最後までイキイキと生きていれば、周りの人に変な印象は残らないのかもしれない」という気づきです。
今まで「自分が死んだあとの世界」について想像したことがありませんでした。でも今回の話を通して、少しだけその視点を持つことができた気がします。
主人公・鳴海が、孤独死した叔母のことを思い返す場面がありました。叔母はお風呂場で亡くなっていたのですが、それを振り返る中で、「お風呂に入ろう」と思っていた=まだ綺麗にしたい気持ちがあったことに鳴海が気づくんです。以前、同僚の那須田から「孤独死する人って、もうお風呂に入る気力すらない場合が多い」って聞いていたから、そのことに気づいたんだと思います。
さらに遺品を見返すうちに、叔母が“推し活”していたことも分かりました。
それをきっかけに鳴海は「叔母も、ただただ寂しいだけの人生じゃなかったんだ」と、少し気持ちが変化していきます。推し活に夢中な自分(鳴海)と何ら変わらない充実した生活だったのかもしれない。
私もその姿を見て、「誰かの目から見た“孤独死”って、表面だけでは分からないものだな」と思いました。
人からどう思われるかは、自分の“影響の輪”の外側だから仕方がない部分もあるけど、やっぱり「寂しい人生だったのかな」って思われて終わるのは、ちょっと切ない。
できることなら、「人生楽しんでたんだろうな〜」って思われるような終わり方がいいなと思いました。
だからこそ、最後の最後まで、自分なりに人生を楽しむ努力って大切なんだなって、改めて感じました。この気づきをくれたドラマに、感謝です。
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