母から子供の頃に言われていたのはこの言葉です。
小学生頃、公営のプールに友達数人で遊びに行った時の話です。お小遣いに1000円もらって、ウキウキで出かけました。当時の小学生の私としては1000円はいい金額でした。プールの後、近くのスーパーでお菓子を買うことになり、財布を手に持った状態でアイスを買おうかお菓子を買おうか、スーパーの中をうろうろしていました。ふと気づくと、手に持っていたはずの財布がありません。一緒に来ていた友達みんなで、スーパー中を一緒に探してくれました。結局見つからず、1000円を無くしたことを怒られるんだろうな…と思いながら家に帰り、母い伝えました。
母は激怒しました。母が怒ったのは、友達に迷惑をかけたからです。お金を無くしたのは仕方がない。でも、友達を使って財布を探させたことはどうなんだ!ということです。キンキン声で「人に迷惑をかけないって言ってるでしょ!」と怒られました。母は人に迷惑をかけると怒るんだな…と身に沁みた思い出です。自分としては、母からもらった1000円を無くしたことは何も言われないんだ…それよりも人に迷惑をかけることの方が重大なんだと思いました。
そこからは、「人に迷惑をかけない」ということを胸に生きてきました。働き始めてからは、特にそのことに注意していたと思います。どういう動きをしたら人に迷惑をかけないか、周りの人を含め円滑に仕事が進むにはどうしたらいいか、人間関係は全体的にできるだけ上手くいくように自分はどう動くべきか考えていたと思います。
前職の退職前数年は、自分が職場に存在していること自体、迷惑をかけている、何の生産性もないと感じることが増え、自分の居場所ではないと感じるようになり退職する判断をしました。
でも今冷静に考えて、人ってそもそも多少の迷惑をかけながら生きていると思うんです。器用な人はその量が少なく、私みたいなポンコツ気味な人はその量は多くなることもあるので、その量の多い少ないはあると思います。でも、迷惑をかけずに仕事するってそもそも無理な話だったのかなと思います。迷惑は多少、お互いにかけるところはある、それは前提としてそこでいかに全体で仕事を進めていくのかという視点が自分には必要だったのかな…と思います。
脳科学者の中野信子さんのことが好きでよく本を読みます。人間関係で悩んでいる時は、脳の働きの面から解説されていると参考になることが多いです。下記の本に面白い部分があったので一部抜粋します。
『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』(中野信子著)
日本における保護者の多くは、子どもに対し、他人に抜きん出て能力を高めることよりも、組織や共同体から外れない人になることを望んでいるということを示唆する統計があります。「他人に迷惑をかけない人になってほしい」という親が他国と比べてとても多いのです。周囲への配慮を欠かさないことは、長いあいだ日本人としての美徳とされてきました。そのため、多くの日本人は個よりも社会を優先するマインドセットを有するように育てられてきたと言えます。
「人に迷惑をかけるな」は、母だけじゃなかったんですね。母は戦後生まれですが、日本の全体的な考え方として多かった時代なのかもしれません。現在はあまり躾として聞かないようなセリフのような気がします。私も、甥には「人に迷惑をかけるな」は言いません。「人を故意に傷つけるな」は言っています。相手の気持ちを考えられる人間にはなってほしいからです。
「人に迷惑をかけるな」は、立場によっては苦しい言葉になってしまうということは、自分自身の体験から感じました。それでも自分の行動が誰かの迷惑になっていないかを振り返ることは大切なことだとも思います。

ピンクのシロツメクサを見つけました。レア感があって、可愛らしかったです。
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