ひとりで生きるってそんなに舐められること?

人生観

ドラマ「ひとりでしにたい」第4回を見て思ったことを引き続き。

特に共感したのは「ひとりで生きて、ひとりで死ぬことは、“舐められること”との戦いだ!」というセリフ。
これ、ものすごく分かる……!主人公の鳴海が通っている道って、私も感じてきたものだなと、深くうなずきながら見てしまいました。

鳴海は、ふと自分の保険の内容が今の生き方に合っていないことに気づき、元カレで保険営業の男性に連絡を取るのですが…
その彼、鳴海が「結婚したくて会いに来た」と勘違いしたような態度で、ちょっと見下した感じを醸し出してきて、鳴海はイラッ。
そこから“舐められるお化け”に襲われるというシュールな演出もありました(笑)でも、この「舐められてる感覚」って、実際にあるんですよね。

私自身も、未婚・子なしであることで、舐められたように感じる場面は過去にありました。
でも正確には、舐められるというより、気を遣われて「かわいそう」と思われてることのほうが多いかもしれません。その“気を遣われている感じ”が、なんとなく引っかかる。かわいそうって、どこか下に見てるニュアンスありませんか?
だからこそ、それを感じるたびに「私って人として足りない存在なのかな…」と、モヤっとしてしまうのです。

逆に、自分が誰かに対して「かわいそう」と思ってしまうようなときは、言動に気をつけなきゃなと改めて思いました。相手を傷つける意図がなくても、ふとした一言に“見下し”のニュアンスに受け取られることもあるかもしれないので。

昔の私は、「子どもを産み育てて次世代につなぐことが、生物としての役割」だと信じていました。
でも、結局私はその道を選ばなかったし、今さら戻れるわけでもありません。

最近よく、ひろゆきさんのYouTubeを見ていて、「こういう割り切り方を若い時に知っていたらな〜」と思うことがあります。
若いうちに、そこそこ合う人と結婚してみて、無理なら離婚。子どもを産める時期に産んで、どうしても育てられないなら里子に出す。「バツイチ」っていう経験も、“一度は誰かに選ばれた証”になるから、その後も生きやすい。そんなふうに柔軟に考えられたら。

「できれば好きな人と結婚したい」と思っていたあの頃の私、ちょっと無謀だったのかもしれません。
でもまぁ、過ぎたことはしょうがない。どうしても時々、ぐるぐる考えてしまうけど。

今はまず、現実を受け入れるところからスタート。
今そばにいる人たちを大事にして、日々を楽しみながら、ひとりでも充実した人生を送っていく努力をしたいなと思っています。

そして、いずれ私がこの世を去ったとき、姪や甥が「まあ、それなりに楽しい人生だったんだろうな」と思ってくれたら、それで充分。ドラマの中の鳴海のように、私の人生を見て、少しでも前向きに受け取ってくれるといいな、なんて思いました。

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