先日、NHKの朝ドラ 「あんぱん」 が最終回を迎えました。崇とのぶの一生をかけた愛の物語。戦争を経験した2人が本当の正義とは何かを問い続けて、「アンパンマン」を生み出し育てる・・・こんなふうに、大好きな人と長く共に生きられたら素敵だなぁと、お二人の姿がとても微笑ましく羨ましく感じました。
脚本家・中園ミホさんの言葉
先日放送された「あさイチ」で、脚本家の 中園ミホさん のインタビューを拝見しました。中園さんがご自身の心に残ったセリフとして挙げていたのが、のぶの「何者にもなれんかった…」という言葉です。
私の解釈ですが、この場面は「崇には本当にやりたいことを諦めてほしくない」という思いを込めて、のぶが語った中で出てきた言葉だと感じました。実際にこの言葉は、中園さんの同窓会で、ある同級生がポツリと発したものだったそうです。その時、多くの同級生も頷いていたと話されていました。
この「何者にもなれんかった」という言葉は、まさに私自身の気持ちでもあります。30歳の時に「この仕事で生きていこう」と決めた仕事も、昨年の3月で退職しました。結婚もせず、誰かの伴侶にもならなかった。子どもの母にもならなかった。だから私は「何者にもなれなかった」と感じてしまうのです。
正直、この気持ちは自分だけのものだと思っていました。でも中園さんの話を聞くと、意外と多くの人が同じように感じているのかもしれません。
「何者かになる」とは何か?
私から見ると、一つの仕事をやり抜いてリーダー的役割を担っている人や、結婚して子どもの母になった人は、十分に立派な「何者か」になっているように思えます。けれど、隣の芝生は青く見えるもの。人それぞれ「何者かになる」の意味は異なるのかもしれませんね。


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